どの現実を、私たちは養って生きていくのか
- Eri Ito

- 1月11日
- 読了時間: 6分
更新日:1月18日

新年の省察 🌿
今の世界の状況は、たとえ比較的安全で平和な場所に暮らしていても、私たちに不安や先の見えなさを感じさせがちです 🌍
ニュースを見れば、紛争や分断、人や動物への残酷な出来事、環境破壊や気候変動、急速に進むテクノロジー、そして終わりのない情報の流れ。
その数は、終わりがないようにも感じられます 📱
それは私たちを疲れさせ、落胆させ、ときに「より良くあろうとする意味はあるのだろうか」と問いかけさせることさえあります。
同時に、多くの人が長く続く健康上の課題とともに日々を生きています。
慢性的な不調や体調の悩みは、ストレスや疲労、感情的な負担と重なりながら、日常の一部になりつつあります。
私たちは情報にあふれた世界に生きています。
それでもなお、身体・心・感情を本当に養い、健やかさを支えるものは何かということは、十分に共有されていないように感じます。
それでも、別の流れも確かにある 🌱
こうした現実の中で、もうひとつの流れも静かに生まれています。
西洋社会においても、自然なアプローチやホリスティックな養生、心や精神の健康、思いやりや責任への関心が、少しずつ高まっています 🤍
それは、人と人との関係、そして自然との関係を見直そうとする動きでもあります。
人々は、生産性や成功だけでなく、
人生に起きていることの意味とは何か、
自分を養うものとは何か、
どのように生きていきたいのか。
そんな問いを、静かに持ち始めているように思います。
歴史の中で繰り返されてきたこと ⚖️
歴史を振り返ると、どの時代にも混乱や苦しみがありました。
そして同時に、それに応えるように、別の考え方や生き方も繰り返し生まれてきました。
恐れや不安が強まる時代ほど、支配や競争ではなく、調和やバランスを求める声が静かに立ち上がってくるようにも見えます。
混乱の中から生まれたバランス 🌿
道教は、中国の戦国時代という争いと権力闘争に満ちた時代に生まれた思想で、東洋伝統医学の哲学的基盤のひとつでもあります。
混乱の只中で、調和、バランス、自然を無理に押し進めない在り方を大切にする考え方が形づくられました 🌿
それは、その混乱があったからこそ必要とされた思想だったのかもしれません。
道教の考え方は、コントロールや支配を目指すのではなく、生命の自然なリズムと調和することへと私たちを招きます。
この視点は、陰陽や五行といった枠組みを通して、今日に至るまで東洋伝統医学における健康、身体、人間の在り方の理解に影響を与え続けています。
恐れと、その反対側 ✨
文化や時代を超えて、似たような流れが見られます。
恐れが強まるとき、意味やつながり、バランスを求める動きも同時に強まっていく ✨
不安や不確かさがあるところには、必ずその反対側も存在します。
たとえそれが、静かで、目立たず、見出しになりにくいものであっても。
新しい年に向けた問い 🌱
ここで、自分に問いかけてみてもいいかもしれません。
私は、どの現実を養って生きていくのか。
終わりのないニュースに浸り、世界の状況に圧倒され続けることもできます。
あるいは、目を背けることなく現実を見つめながら、それでもなお、自分が大切にしたい価値を生きるという選択もあります 🤍
これは、否定や回避、単なる楽観主義の話ではありません。
どこに注意を向けるか。
どこにエネルギーや思いやりを置くか。
その選択についての話です。
意味・ビジョン・内なる風景 🌿
東洋伝統医学の視点から
東洋医学では、健康は、食事や運動だけでなく、
人生にどう向き合うか意味や方向性をどう感じているかとも深く関わっていると考えられています。
それぞれの臓腑は、身体的な機能だけでなく、心や精神との関係性の中で理解されます。
静かでささやかな意味の感覚は、肺とその精神である「魄」を養うとされています。
肺は、呼吸、リズム、悲しみ、そして人生を受け取る力と関わっています。
意味は、喪失や困難の中にあっても、人生とつながり続けることをそっと支えてくれます。
未来へのビジョンや方向性の感覚は、肝とその精神である「魂」を刺激します。
肝は、動き、成長、想像力、「これから」を思い描く力と結びついています。
思考の整理や経験を振り返る力は、思考の整理や経験を振り返る力は、脾とその精神である「意」に関係しています。
「意」が支えられると、考えすぎに消耗するのではなく、理解によって養われるようになります。
困難な時期を越えていく力、意味を感じる方向へ静かに進み続ける意志は、腎とその精神である「志」に結びついています。
「志」は、無理に押し進める力ではなく、長い季節を越えるための深い内的な安定です。
意味や方向性、明晰さ、内なる意志が支えられると、
心(しん)— 神(しん)が宿る場所 — は静まり、澄み、自然と輝き始めます。
同じように、神が落ち着くことで、全体が調和し、
意味を育てること、
前へ進むこと、
振り返ること、
耐えること、
そして人や人生と関わるあり方が支えられていきます。
この視点から見ると、意図とは、前向きさを無理につくることでも、痛みを避けることでもありません。
それは、方向性——
心が静かに向かっていく先のことです。
たとえ、かすかで、まだはっきりと形になっていない意図であっても、時間をかけて、全体のはたらき方に影響を与えていきます。
たとえば、
どのように意味を育んでいくか(肺)
どのように思い描き、ビジョンを持つか(肝)
どのように振り返り、考えを整理するか(脾)
どのように耐え、持ちこたえていくか(腎)
どのように関わり、周囲に影響を与えていくか(心)
疲れや痛み、回復のプロセスに寄り添う 🤍
苦しさが強いとき、長く続く不調や病気があるとき、一日をやり過ごすだけで、持てる力のすべてが必要になることがあります。
そのようなとき、意味や意図を考える余裕がなくても、それはとても自然なことです。何よりもまず、自分を大切にすることが最優先です。
休むこと。
必要な支えを求めること。
適切な医療的サポート、
自然なアプローチ、心理的・感情的な支援を頼ること。
それらはすべて、自分を守るための大切な選択です。
そして、苦しみが少し和らぎ、わずかに余白が戻ってきたとき。
自分が大切にしているもの、意味を感じるもの、養われると感じる方向に根ざした静かな意図が、時間をかけて人生全体に影響を与えていきます。
それは、解決策ではありません。
無理に持つものでもありません。
ただ、ひとつの大まかな方向として。
静かな選択が、一年を形づくる
ときに、その選択ひとつが、一年の流れを静かに変えていきます。
大きな行動や劇的な変化ではなく、小さく、継続的な生き方を通して。
身体をどういたわるか。
感情や思考とどう向き合うか。
他者とどう関わるか。
本当に大切なものと、どうつながり続けるか。
おわりに 🌿
2026年が、地に足のついた、思いやりとやさしさのある一年となりますように 🤍
この一年が、起こる出来事だけでなく、何を養い、どの現実を選んで生きるかによって形づくられていきますように。

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